配偶者居住権

配偶者居住権(はいぐうしゃきょじゅうけん)──配偶者居住権は、残された配偶者(妻・夫)の「住まい」を守るために2019年の相続法改正で導入された重要な制度です。生活基盤を失わせないための実務的な武器である一方、設計・評価・登記・税務で落とし穴も多く、相続設計で適切に扱うことが必要です。本稿では法的性質から実務運用、税務評価、典型的な設計パターンと落とし穴まで、現場で使える形でまとめます。

 

1. 概要と趣旨(短い結論) 配偶者居住権は、被相続人が所有していた居住用建物について、配偶者が無償で「使用(住むこと)及び収益(賃貸など)」をする権利です。被相続人の死亡時に配偶者がその建物に居住していたことが要件で、権利は「遺産分割・遺贈・死因贈与・審判」で取得されます。制度の導入趣旨は、残された配偶者の住まいと生活の安定を確保することにあります。 「配偶者短期居住権」との違い(まずここを押さえる) 同時に導入された「配偶者短期居住権」と混同されがちです。違いの要点は次の通りです。

配偶者短期居住権:相続開始時に配偶者が住んでいれば自動的に認められる短期の居住保護。遺産分割が確定するまで、または相続開始から6か月(※いずれか遅い日)までの短期的保護。登記はできません。

配偶者居住権(長期):遺産分割、遺贈、死因贈与などで明確に取得するタイプ。期限を定めなければ原則終身(配偶者の死亡まで)となり、登記できるため第三者対抗力を持ちます。 設計次第で「短期で安全に住めるだけ」が良いのか、「登記して第三者にも対抗できる長期権」が必要かが分かれます。

 

3. 取得方法(現実的なルート) 配偶者居住権を配偶者に取得させる主な方法は次の3つです(優先順ではなく実務上の現実的手段)。 遺産分割協議での指定(相続人全員で合意) 遺言による遺贈(被相続人が遺言で配偶者に配偶者居住権を遺贈) 死因贈与契約(生前に当該居住権を死因贈与で約束) (合意が得られなければ家庭裁判所の審判で定めてもらうことも可能) 実務上もっとも確実なのは「公正証書遺言で配偶者居住権を指定」しておくことで、相続後の争いを避けやすくなります。

 

4. 権利の内容(できること・できないこと) 使用・収益:配偶者は建物の「全部について」使用し、かつ収益(賃料)を得ることができます(ただし転貸や賃貸をするには原則として建物所有者の承諾が必要)。 譲渡・担保設定:「譲渡できない」とする民法上の制限があるため、権利自体を第三者に自由に売ることはできません(処分制限)。 存続期間:遺言・協議で定めた期間(例:配偶者の生存期間、一定年数)か、定めがなければ配偶者の死亡まで。 共有物件との関係:被相続人が第三者と共有している建物には原則配偶者居住権は認められないが、被相続人と配偶者が共有している場合は要件を満たす。

 

5. 登記(第三者対抗力)と実務的意義 配偶者居住権は登記ができるため、登記しておくと後で建物の所有者が第三者に売却しても配偶者の住まいを守りやすくなります。登記をするためには「登記原因証明情報(遺産分割や遺贈の事実を示す書面)」等を用意する必要があります。登記手続きや必要書類の作り方は司法書士に依頼するのが現実的です。 ワンポイント:登記をしないと実効性が弱く、所有者が第三者へ売却した場合に配偶者が立退きを迫られるリスクが出ます。必ず「登記する/しない」の選択を相続人間で検討しましょう。

 

6. 相続税・税務上の評価(重要) 配偶者居住権は財産的価値のある権利として相続税上の評価対象になります。実務上の評価手順は概ね以下の流れです。 被相続人所有の建物(および敷地)を「配偶者居住権が設定される前」の評価額で算定。 配偶者居住権を設定した後の「負担付き所有権」の価額を算定。 (1)−(2)=配偶者居住権の評価額(つまり配偶者に与えられた経済的価値)として相続税の課税対象となる。 評価には権利の存続期間(終身か定期か)、配偶者の年齢、期待余命、賃料換算などの技術的な計算が入るため、税理士と連携して試算することが不可欠です。配偶者居住権を利用した相続設計(例:現金を配偶者に回す代わりに建物の所有を子にさせる等)は、遺留分や相続税額に影響を与えるため慎重なシミュレーションが必要です。

 

7. 設計パターン(典型ケース)と実務上の利点・欠点

A. 「配偶者に居住権を与え、所有は子に」パターン(よく使われる) 被相続人が建物を子へ所有させ、配偶者には配偶者居住権を設定。配偶者は住み続け、流動資産(預金)は子に渡す…という設計が可能。 利点:配偶者の住居確保+金融資産を子に集中させられる(遺留分調整の工夫)。 欠点:子が建物の固定資産税や維持費を負担することになり、配偶者がその負担を支払わない場合のトラブルが起きやすい。

B. 「遺言で配偶者に配偶者居住権を指定」パターン 遺言で明確に指定すれば後の争いを減らせる。公正証書遺言+登記が推奨。 利点:明確・第三者対抗可能。 欠点:遺言作成時点での評価が必要で、税務計算を遺言文案に貼り付けないと後で齟齬が生じることがある。

 

8. 実務上のチェックリスト(弁護士・税理士・司法書士と動く際に) 被相続人の建物登記簿(全部事項証明)を取得。 配偶者が相続開始時に居住していた事実を確認(住民票や光熱費等の証拠)。 取得方法(遺言・遺産分割・死因贈与)を決定。 権利の存続期間(終身/定期)や転貸可否、管理費負担、修繕負担の分担を明文化。 配偶者居住権の登記申請を司法書士に依頼(遺産分割協議書や遺言の写しを準備)。 相続税評価の試算を税理士に依頼(影響を見て遺産分割案を再調整)。 銀行ローンや抵当権がある場合の処理(抵当の抹消・弁済計画)を整理。 遺留分リスクの確認と説明(相続人に対する配慮を文言に含める)。

 

9. 典型的トラブルと回避策 トラブル例:配偶者が居住するが光熱費や修繕費を払わない → 子が不満 → 家族対立。 回避:修繕費・税負担の分担ルールを遺産分割協議書に明記し、担保(例えば子の所有持分に対する一定の譲渡制限)を付ける。 トラブル例:配偶者居住権が登記されておらず、建物所有者が第三者に売却 → 配偶者が立ち退きに。 回避:登記を行う。

 

10. 実例(簡易シミュレーション) 前提:建物評価 = ¥10,000,000。配偶者居住権を終身で設定、税理士評価により居住権の価値は建物評価の40%と算出(※仮の割合。実際は専門家試算)。 居住権の評価 = ¥10,000,000 × 0.40 = ¥4,000,000 所有権(負担付き)の評価 = ¥10,000,000 − ¥4,000,000 = ¥6,000,000 結果:配偶者は居住権として¥4,000,000相当を取得したとみなされ、残余財産の分配(他の相続人へ渡る金額)はこれを勘案して調整されます。※実務では年齢・期待余命・賃貸需要などを踏まえた厳格な算出が必要です。 日本税法学会

 

11. まとめ(実務アドバイス) 配偶者居住権は「残された配偶者の生活を守る強力な手段」だが、登記・税務評価・維持費の負担をどう分けるかを先に設計しないと、相続後に親族トラブルになりやすい。 最も安全なのは (1)遺言で配偶者居住権を明示し、(2)登記可能な形で残し、(3)税理士と評価・課税の見通しを取る こと。 実務では弁護士(遺産分割・遺言)・司法書士(登記)・税理士(相続税)をチームで巻き込むのが成功の近道です。

2025年10月07日